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宇宙の話をしよう (後編)
<< この話は科学的根拠が全く無い
あくまでも空想・妄想の域を出ない話
であることを前提としています >>
「宇宙の外には何がある?」という話には
様々な仮説が存在するが、その中でも「何も無い」という
説に、ある意味自分の結論は一番近いかもしれない。
ただ「何も無い」というのは物理的には、という意味に
おいて同意であって、この三次元空間で物理学的には
確認不能、想定不能なものは、存在するのではないか、
と思っている。
この話の前、中編を読まれていた方ならなんとなく
察していただけてるのではないかと思われるので
ずばり言ってしまえば「意識的ななにか」が
宇宙の外には広がっているように思えるのだ。
ここからが文章として形にしていくのが難しい。
なにせ目には見えないものを表現していくので
一番近いものを呼称していくしかない。
「意識」をいう言葉を使うと「生き物」という連想を
していまうのだけれども、いわゆる「魂」と呼ばれて
いるものは「生き物」ではないはずだ。
それが肉体に宿っていてこそ「生き物」になる。
肉体から離れた魂(意識)は生き物そのものではない、
と考えている。
その「意識的なもの」は数字では測れない。
おそらく多次元としての存在であるのではないかと
考えているので、とうていこの三次元世界では
測り知れるものではないはずだからだ。
それが「宇宙の外にある世界」ではないか、とう説。
まぁ、説と呼ぶにはおこがましいね。
妄想。
そこからこんなイメージが膨らむ。
宇宙の外にある「意識的なもの」は、霧のように
宇宙内(三次元世界)にふりそそぎ、
それぞれの環境に順応した形で存在している。
この地球という星では「魂」となって生き物を
形成している。
もしかしたら太陽フレアなんていうのも、
意識の形なのかもしれない。
もっと言ってしまえば、星の重力、自転、公転、それを形成する
バランスさえも「意識的なもの」によるものなのかもしれない。
人類はなぜ神の居場所を天に求めたのだろう?
古来、なぜ人が死んだ時に「魂が空に帰った」とか、
「星になった」という表現をしてきたのだろう?
もしかしたら、人間の中に宿るものは
自分がどこから来てどこへ行くのかを本能的に察していて
なぜかその表現にしっくりしていたのかもしれない。
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