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「自分の7年周期バイオリズム」を
掘り下げているうちに、「21年で大きな区切り」が
どうやらあるようだ、と気付いた一例を
ご紹介してみようかな、と思います。

2013年、勤務先の縁で松井秀喜氏からの
サインボールを頂きました。
それも「荒木ひとし様」と名前入りで。
もちろん直接ご本人から手渡しで、では
なかったのですが。

松井氏が荒木ひとしという者の事を
憶えていたのかどうかは定かではないが、
とにかくそのサインボールを受け取った時
「まるで漫画家としてがんばってきた年月への
ご褒美のようだ」と感激したものでした。
その年月が…結果このサインボールという
形になって完結したかのような感覚。

振り返ってみる。
その2013年の7年前の2006年
「マツイ日記は知っている!MAJOR」連載終了。
…というひとつの区切り。

さらにその7年前の1999年…は、特に松井氏との
関わりで、ピックアップするホドの事は無かったが、
前年の1998年に雑誌の企画で松井氏と
直接会って対談をし、その模様が収録された
「マツイ日記は知っている!」単行本1巻が
発売されている。

1999年のさらに7年前の1992年、
つまり2013年の21年前に何があったのかというと、
松井氏は高校3年生、甲子園であの伝説の
「5打席連続敬遠」があり、
それをテレビ観戦していたオレは
「この松井という男は絶対にプロで大成すべき男だ」と
思いながら、胸の内をざわめかせていた。
同年に、そんな彼がジャイアンツに入団した事を
モチーフとした読み切り作品「てんで天敵!」を
描いた事が松井氏との関わりの始まりでした。

…さて、その「てんで天敵!」は
「トウショウライオン」という連載作品の
単行本に収録されているのですが、
「トウショウライオン」を連載していたのは
同年の1992年でのこと。
人気を得る事ができずに半年で連載は終了し、
そのまま誰の想いにとどまることもなく
葬られていきました。

そして、どーんと一気に時を経て21年後
の2013年に話は戻るのですが、
友人のご厚意により「絶版まんが図書館」という
webサイトにて、「トウショウライオン」が
再びみなさまのお目に触れる
機会を得るはこびになったというのは
これもまた不思議な因果と思ってしまうわけです。

まだまだ「7年周期・21年区切り」例はあるのですが、
とても収まりきれないので、この辺にしておきます。

そもそもが、自分の人生そのものが
「21年区切りになっているのでは?」と気付きました。
0〜20才までの21年間は
「親兄弟と共に暮らしていた」時代です。

21才の年に「漫画を描く事を仕事としたい」という
気持ちを決意に変えて一人暮らしを始めました。
漫画だけでは暮らせない時もありましたが、
なんとかかんとかやっていたわけです。
21年間は。

2006年、当時3本の月刊連載作品を持っていました。
その3本が、半年内にぱたんぱたんと突如
まさに音をたてるように終了となってしまったのです。
本来ならばその年に発行されるハズであった
「マツイ日記 MAJOR」の単行本最終巻も
未発行、という事に。

その後も、漫画を続けようと一応ジタバタしてみましたが
「もはや自分の描いた漫画では生活できないようだ」と
感じるようになっていきます。
2006年が「漫画を描いて生活する」時代の終わりで
あったように思えるわけです。

2007年から「第3期」といえる時代が
実は始まっていたのではないかと。

2008年、住まいを那須塩原市に移して
現在にいたります。
離婚があって、漫画の仕事を失くして
正直、那須に来た時は抜け殻状態でした。
「未来が見えない」って感じで。
ありとあらゆるものがぼんやりしてた。

でも、ここにきてようやく進む方向が
見えてきたわけです。
そのことには「どうでもよくない」って思える。
そんなタイミングに、自分のこんな
「7年周期」とやらに驚いているのも、
なにかしらの因果なのかなぁ…?

「7年周期」を眺めていると、
「始まり」と「終わり」に目がいきます。
「始まり」があるから、「終わり」がある?
…はたして本当にそれだけなのかな?

いや、「始まり」の21年前を覗いてみると、
その「始まり」の生まれるキッカケが…、
「始まり」の「始まり」があったりも
するんですよね。
「終わり」に見えるものも、本質的には
「始まり」の「始まり」なのかもしれない。
そしてきっと「途中」も、存在する。
まー、解釈次第なのかもしれないっすけどねぇ。

那須に来てから描いた漫画があります。
「終わって始まる物語」
2008年に描いたものです。
この作品のメッセージとは、もしかしたら
自分自身に宛てたものだった…?
、のかもしれませんね。
7年後に、自分がこんなふうに思うなんて
描いてた時は考えもしなかったけど。

ちなみに作品のモデルにした
アルバイト店長の経験って、2007年に
やっていた事でした。
…もしかして、あれって
第3期のテーマの布石だったりして?(笑)

ずいぶんと長い文章になっちゃった。
では最後に、2015年の21年前。
1994年、当時29才だった荒木が
何をやっていたのかご紹介いたしましょう。
小さな日本料理屋で、皿洗いのアルバイトを
していました。
漫画の仕事、ありませんでした。(笑)
「第2期」後半に、強い影響を
もたらすことになるターニングポイント、
「ソケット君、行け!」の連載開始は
翌年1995年の事、でありました。

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