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「月のひつじ」って映画が、先月深夜に
テレビで放映してたんだけどさ。
物語は1969年7月。アポロ11号による
人類が初めて月面に降り立つ様子を、
全世界に向けて中継する…っていう大役を担った、
オーストラリアのパークスっていう
羊ばかりがいるような場所にある通信施設が舞台。
当時、南半球ではそこが一番大きな
パラボラアンテナを所有してたんだって。
でもその施設の所員は、たったの5人。
その5人が、そんな大役を無事に果たすことが
できるのか…というのがストーリーなんだけどね。
でね、その映画の中に、こんなシーンがあった。
施設の所長とNASAから出向してきている所員が
知人宅でランチをとっている時のこと。
その知人のちいさな息子がこんな質問を
ふたりになげかけた。
「着陸の時に埋まらない?」
NASAの所員がクールな声で答える。
「よく調べてあるから心配ないよ。
土壌、密度、重力、ほとんど分かってる」
高校生の姉が続けてたずねる。
「じゃあ、何をしに?」
その質問には所長が答える。
「ひとつだけ、不明なことが」
「それは…?」
「……本当に、行けるのか?」
突き詰めれば、冒険の本質ってやつは
そこにいきあたるような気がしたんだ。
海に潜ったり、山に登ったり
大陸を横断したりっていう
いわゆる「冒険」といわれているものだけでなく
誰の人生の中にもあったりするような
「冒険的な」出来事だったり。決断だったり。
頭の中に浮かび上がったイメージを
「本当にそれは形にすることができるのか?」
だとか、さ。
「自分にできるかどうか」が不明であることに対して
行動するってことも「冒険」だとするならば、
人が何かにトライするっていうことは
「できるのか、どうか」の証明をしにいくような
そんな感覚が「核」にあるような気がするんだ。
ただ人はその時に、実現の可能性と
デメリットを天秤にかけて計算するね。
行動する前にね。
で、おおむね出る答えは、
「無理。できっこない」な、わけですよ。
わからなくもないけどね。
失敗なんかしたくないし、
痛みたくないもんね。
できる事とできない事は確かにあるし。
無謀は、決して良い事ではないし。
でもねぇ〜、もしも、
「自分には無理だって、それって証明済?」
っていう思いが、肩を叩くのだったら
その時はためらわずに行動するべきだよ。
「しなかった後悔」からは、
きっと何も生まれないから。
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